++着物徒然日記++


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元気です
気付けばこの日記も3ヶ月以上放置していました。

最後の日記を書いた後、何人かの方から
お気遣いのメールを頂きました。
いずれも今までなんの面識もない方々からでしたが、
涙が出るほど嬉しかったです。
本当にありがとうございました。
こんな自分本位なHPですが、やっていて良かったと思いました。

この数ヶ月、一度では書ききれないくらい
いろんな事がありましたが、おかげ様で私は元気です。
間違いなく自分史の中でターンビングポイントになる
濃い数ヶ月でしたが、今は心身共に回復に向かっております。

どうしてもツラい時、人の目を一切気にしなくていい
知り合いのいない某SNSで独り言を吐いていたのですが、
そこの一文を近状報告として、そのまま転載しておきます。
独りよがりで読み難い部分もあるかと思いますが、
ご了承ください…。




癌について 2008年02月28日

闘病記を書く気力も、人様のような癌ブログを立ち上げて
交流を図る気もなかったけど、
どこかに吐き出す場所がなければ、どんどん黒い感情が
溜まっていきそうだったので、そんな気持ちの整理のためにも、
とりあえずこの場を借りて、書くことにする。
(日記というより記録メモがわり)

今までの流れ
・年明け早々、組織診の結果、右乳房に乳癌発覚(直径4cm、ステージ2)
・しこりに気付いたのは4年前(当時は直径8mm、良性と診断)
・担当医の見解、提示は「半年間の抗がん剤投与後、全滴手術」
・抗がん剤の副作用の1つである「閉経」の可能性を少しでも下げるため
ホルモン療法も並行して行う。
(既に1本目投与済み、直後に最後の?生理がくる)
・RI検査、CT検査、骨シンチ、採血等一通り行った結果、
臓器、骨に転移と断定できるものは積極的には認められないと診断。
・下の妹と、癌をめぐり確執が生まれる
・恋人とも多少の温度差を感じ、何度も口論に
・抗がん剤初投与3日前に上の妹の結婚式に出席
・抗がん剤初投与1日前に受けたセカンドオピニオンの見解が
担当医と少々異なったため、双方で再ディスカッションした結果、
抗がん剤投与日を延期、再び組織診を行うことに。
・前回行わなかったマンモトーム生検による組織診を受ける(1時間ほど)

現在はその結果待ち。
結果により、主治医から抗がん剤の投与量、実施日の最終決定が下る予定。

下の妹に言われた言葉は、今の自分にとってはどうしてもゆるせない
言葉であり、流す余裕もない。身内だからこそ、ゆるせない気持ちがある。

上の妹の結婚式も、もっと素直に祝福できると思ってたのに、
当日、恐ろしく気持ちのコントロールができない自分に驚愕する。
お姫様だっこで再入場する妹も、子供は何人?というお約束のスピーチも
まったく冷めた気持ちで眺めている自分が嫌だった…。
悪気がないと解っていても相手のお義母様や上司の方に「お姉さんも早く
お嫁に行きたくなったでしょ?」「次はお姉さんの番だね!」と
言われる度に、ビール片手に貼り付いていた笑顔すら浮かべられなくなり、
最後はそんな自分を誤摩化すために、飲めない酒をあおっていた。
酔ったふりをして愛想なく披露宴を後にし、気持ち悪さに駅のトイレに
駆け込み、惨めな自分に泣けてきた。
披露宴は前々から予定していたのだし、妹にはなんの罪もない。
むしろ一番幸せな時に余計な憂いを与えて、申し訳ないくらいだ。
でも今の自分には幸せの絶頂にいる妹の姿があまりにも対照的で
ツラかった…。
こんな黒い感情は、恋人(優しい人なのでやはり人の親になってほしい)
にも両親にも言えない…。



組織診の結果 2008年03月03日

1度目の組織診は簡易的な器具で3カ所採取、結果は「浸潤性乳癌を検出」
2度目の組織診はマンモトームで計6カ所の採取、結果は「すべて非浸潤性乳癌」

この結果から、最終的には私の強い希望もあって、当初の
「半年間の抗がん剤治療→外科手術(全摘前提)」から
「全摘手術→抗がん剤治療」に変更になる。

違いは前パターンが乳房温存の可能性を残すことで、
後パターンが抗がん剤を回避できるかもしれないこと。

摘出した乳癌が非浸潤性乳癌の要素が高ければ、そのまま外科手術のみで
癌治療を終了できる可能性が高い。
体へのダメージも金銭的負担もまったく違ってくる。

もちろんリスクもある。
抗がん剤を使用しなかったため、後日、再発・転移という最悪のパターン。
摘出・検分してみたら、浸潤性乳癌要素が強く、
結局抗がん剤を使わざるをえないパターン。

でも私は子供が欲しい。
人の親になりたい。
自分の血を引く子供を抱きたい。
子供好きの恋人を父親にしてあげたい。

「癌です」「恐らく全摘になるでしょう」と言われても出なかった涙が
「抗がん剤投与後、出産できる可能性は1割です」と言われた瞬間、
せきを切ったように流れたのを覚えてる。
「作らないと作れないは違う」という言葉が何度も頭に響いた。

ひょっとしたら望んでるような明るい結果にはならないかもしれないけど、
少しでも希望のある方向にかけてみようかと思う。



手術と結果 2008年04月20日

3月末にM井記念病院に入院、翌日右全乳房切除手術。
リンパ節転移はなく、リンパ節切除も1箇所のみ。
(乳房再建に対する処置はせず)
現在、部分部分に痺れや引き攣れのような痛みがあり、
患部周辺や脇の下、患部側の二の腕の感覚も戻っていないが、
耐えられないようなヒドい痛みはなく、リンパ液も順調に減っているようだ。
退院後は実家でリハビリに励みながら、2〜3日おきに
水抜きのため通院する日々。

術直後は「一生直視できないのでは」と思っていた患部や上半身も
今はある程度冷静に見れるようになった。
入院中、同じ大部屋の乳癌患者さんに言われた
「人の体はちゃんと回復するんだよ。人体はスゴイと感動するよ」
という言葉を実感している。

退院後、母の知人から頂いた護符をずっと枕元に置いて
どうか良い結果が出ますようにと毎日祈った。
そして先日、ついに病理組織の所見が出た。
腫瘍は乳管内病変を主体とする物で、浸潤癌はごく少量と判明。
当初8クールと言われた抗がん剤の投与を回避できることになったのだ。


抗がん剤投与日のまさに前日に受けたセカンドオピニオン
(S路加国際病院)が、このような自分にとって
最善の結果をもたらしてくれた事になったのだ。
挫けずにもう一度生検を受けて、そして外科手術を先にすることにして
本当に良かったと思う…。
ホルモン療法の方は、引き続き約2年ほど続けることになったが
きっと2年後には生理が戻ってきてくれると信じている。
2008年4月21日(月) No.352

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